竹富島の赤瓦家屋とサンゴでできた石垣、そして白砂の道のコントラストは美しいです。また、1987年に国の伝統的建造物群保存地区に指定されています。
1938年に西表島へ稲作などで仕事に向かう人たちが利用する為に作られました。1971年まで使われておりましたが、現在は船の行き来はございません。
西塘とは人の名前であり、竹富島出身の偉人である西塘を祀る御嶽(うたき)です。西塘氏は土木技術に優れており、首里城壁を設計したり、園比屋武御嶽石門を造ったりした、竹富島の偉人。
東側あるアイヤル浜からつながっているビーチ。丁度真正面に石垣島の市街地が望め、離島なのに市街地が見えるとても不思議なビーチ。
パナリ島とは新城島(あらぐすくじま)の別名です。新城島(あらぐすくじま)は八重山諸島の南に位置し、石垣島から船で1時間弱の所にある離島です。上地島(かみじじま 、かみぢじま )及び下地島(しもじじま 、しもぢじま )の2つの島の総称です。
新城島(あらぐすくじま)の2つに分かれた島の上地島(もう一つは下地島)の港からすぐの所にあるビーチ。周辺には立ち入り禁止の御嶽もあるので気を付けながら行きましょう。
730交差点から八重山郵便局の角を曲がり、八重山博物館に行く途中にある史跡。『道路元標』とは、道路の起終点として、大正8年の道路法で各市町村に一個ずつ、さらに大正11年に形状や材料などが定められ、約12000の市町村の中心に設置されたものです。
石垣市街地から新石垣空港方面に進んだ宮良エリアの宮良川の少し奥にある遺跡です。オヤケアカハチの居城跡とも言われていますが、屋敷囲いの構造として築造されたもののようです。
新石垣空港と石垣島市街地のなかほどの大浜集落にある地域の英雄を称える銅像と石碑。幼少の頃から豪傑で有名だったオヤケアカハチは困窮に苦しむ農民たちのために武力で琉球政府に反旗を振りかざしましたが、戦いに敗れて命を落としました。
石垣島の北部にある野底岳にある展望台。県道79号線側にある細い林道を真っ直ぐ進むと、野底岳の登山道入口があり、そこから更に進むとあります。