先島諸島火番盛は現地の言葉で『タカニク』と呼ばれ、パナリ島(新城島)の上地島の集落の北側にあります。鎖国体制下の1644年に、薩摩藩支配の琉球王府によって設置された、海上交通の監視・通報(烽火)機能をになった遠見番所跡群の一つです。
石垣島北部の市街地エリアにあり、八重山の各諸島(竹富島・西表島・小浜島・黒島・鳩間島・波照間島)をつなぐフェリーの発着地点になっており、アクセスの拠点です。
花城井戸(ハナクンガー)という井戸を中心にある遺跡。かつては井戸のを中心に集落ができたとされており、新里村遺跡の発見により、新里村が竹富島の発祥地ということが明らかになりました。
竹富島には28の御嶽があり、御嶽にはそれぞれ意味があり、この東パイサージ御嶽は『島を作り島を育てる神』がいるとされています。
仲筋井戸のすぐ隣にある竹富島の水道記念碑。以前は隣の井戸を使っていたのですが、竹富島に水道が通ることになりその記念としてこの記念碑が立てられました。
人頭税とは、古琉球時代から明治後期に至るまで八重山の各個人にかされた税制制度。15歳~50歳までの人全員に割り当てられた今でいう税金で、男性は穀物、女性は織物を収めていたそうです。
竹富島の中心街から離れたところの北にあり、新里村遺跡の中にあるかつて使われていた井戸。竹富島最古の井戸でこの井戸があったことで集落がつくられたというほどかつては重宝されていました。
八重山統治の最初の役所(番頭)の跡地。カイジ浜(星砂の浜)の入口近くにあり、かつて八重山を統治した初代頭職、西塘氏が役所として使っていた場所。
竹富島の町並みはまさにみんながイメージしている赤瓦家屋をサンゴの石垣に囲まれているため、外からは中があまり見えないようになっています。
2006年3月27日に国の登録有形文化財に指定されたなごみの塔。展望台頂上はかなり狭いですが、頂上からは竹富島の原風景を一望できます。現在は老朽化のため閉鎖されています。